情報は、正しければ届くわけではない。

むしろ、正しいことばかりが並んでいるのに、なぜか何も残らない。そんな場面のほうが多いのかもしれません。

Webサイトでも、広告でも、提案でも、相手に何かを伝えようとするとき、論理はたしかに必要です。
でも、その前に感情が少しでも動いていなければ、情報は意味を持たない。
ぼくは、そう感じる場面に何度も出会ってきました。

このコラムでは、情報が正しく整理されていても人が動くとは限らない理由を、写真とWeb制作の実感を通して考えます。感情が先に動き、論理があとから支えるという順番が、なぜ伝達や行動に影響するのかを整理します。

正しく写っていても、何も残らないことがある

長く写真を撮ってきました。
気がつけば、もう40年近くになります。

最初はただ夢中で撮っていたのだと思います。
でも、続けるうちに少しずつわかってきたことがあります。
写真は、ただ正しく写っていればいいわけではない、ということです。

構図も、露出も、ピントも合っている。
けれど、なぜか何も残らない写真がある。
一方で、技術的には完璧と言えなくても、なぜか目が止まり、記憶に残る写真もある。

その違いは何だろうと考えてきたときに、いつも思うのは、情報として正しいことと、何かを感じることは別だということです。
人は、まず何かを感じ、そのあとで意味を受け取っている。
その順番は、写真だけでなく、Webサイトや広告や文章にも通じている気がします。

なぜ、情報がそろっていても人は動かないのか

企業のWebサイトを見ていても、同じことを思います。

情報はちゃんと載っている。
サービス内容もある。実績もある。会社案内もある。
必要なものはひと通りそろっているのに、なぜか印象に残らない。
読んだあとに、「で、結局この会社ってどんな会社なんだろう」と感じてしまう。
そんなサイトは少なくありません。

たぶん、足りないのは情報ではないのです。
もっと言えば、論理でもない。
論理は整っているのに、感情が動いていない。
だから、情報がただ通り過ぎていく。
理解はされても、反応が起きない。
届いてはいるのに、動かない。

ロジカルであることは間違いではない

もちろん、ロジカルであることを否定したいわけではありません。
論理は必要です。むしろ必要不可欠です。

なぜこの会社なのか。
なぜこのサービスなのか。
なぜ今、相談する意味があるのか。
そうしたことを支えるのは、やはり論理です。

ただ、その順番が大事なのだと思っています。

人は、感情で動き、論理で納得する。
この順番が逆になると、情報は「正しい説明」にはなっても、「行動につながる伝達」にはなりにくい。

正しさが先に来すぎると、人は受け身になります。
読む。理解する。比較する。
でも、そこで終わってしまうことがある。

一方で、先に少しでも感情が動くと、そのあとに読む論理には意味が生まれます。
自分ごととして読むようになるからです。

人が動く前には、小さな感情の変化がある

なんか気になる。
少し惹かれる。
この会社、ちゃんと考えていそうだ。
自分に関係があるかもしれない。
そういう小さな反応が、最初の入口になる。

そのあとで、サービス内容や事例や料金を見て、納得する。
その流れのほうが、ずっと自然です。

だから、ただ情報を整理するだけでは足りないのだと思います。
もちろん整理は大切です。
でも、整理された情報が、相手の心のどこにも触れていなければ、それはまだ半分しか届いていない。
情報を届けることと、人を動かすことは、似ているようで違います。

正しい。そして、みな同じという状態

Webの仕事をしていてよく思うのは、多くの会社が「ちゃんと伝えよう」としている、ということです。
それ自体は本当に誠実だと思います。
でも、その誠実さが、ときどき「説明の多さ」に変わってしまう。

足りないと思って、さらに情報を足す。
誤解されたくなくて、さらに補足する。
正しく理解してほしくて、丁寧に書く。
その結果、内容は充実するけれど、なぜか印象は薄くなる。

これは不思議なようでいて、たぶん当然でもあります。
人は、情報量そのものに心を動かされるわけではないからです。

そこに、その会社らしさがあるか。
自分に関係があると感じられるか。
何かひとつでも、記憶に残るものがあるか。
そういうことのほうが、ずっと大きい。

正しい。そして、みな同じ。
そんな状態になってしまうと、比較はされても、選ばれにくくなります。
間違っていないのに、残らない。
ちゃんとしているのに、動かない。

そこに必要なのは、さらに正しさを積み上げることではなく、相手の感情に触れる入口をつくることなのだと思います。

感情を動かすとは、大げさに見せることではない

感情を動かすと言うと、強い言葉を使ったり、派手な演出をしたり、ドラマチックに見せたりすることを想像する人もいるかもしれません。
でも、ぼくはそういうことではないと思っています。

感情が動く瞬間というのは、もっと静かなものです。

あ、自分のことかもしれない。
この会社、ちゃんと考えているな。
なんとなく好きだな。
少し相談してみたい。
そういう、ほんの小さな反応です。

大げさでなくていい。
むしろ、大げさすぎると嘘っぽくなる。

必要なのは、相手の置かれている状況を理解し、その人が今どこで迷っているのか、どんな不安を持っているのか、何を求めているのかに、きちんと目を向けることです。
そのうえで、言葉やデザインや構成を通して、「わかってくれている」と感じてもらえること。
それが、感情の入口になるのだと思います。

感情と論理は、どちらも必要

正しいだけでは、人は動かない。
でも、感情だけでも、人は長くは動かない。
一時的に反応を取れても、そのあとに納得がなければ、行動は続かないし、信頼にもつながりません。

だから、必要なのはどちらかではなく、順番です。
先に感情が動き、あとで論理が支える。
その流れができてはじめて、人は自然に動ける。

写真でも、似たことを思います。
ただ正しく写すだけでは残らない。
けれど、ただ雰囲気があるだけでも足りない。
そこに何を見て、どう切り取ったのかという視点があって、はじめて一枚として立ち上がる。

Webサイト制作や文章にも、同じことが言える

Webサイトも、広告も、提案も、文章も、たぶん同じです。
何をどれだけ書くかの前に、相手の心にどんな変化を起こしたいのかを考える。
その問いがないまま情報を積み上げても、きれいに整った説明にはなっても、人を動かすものにはなりにくい。

ぼくは、そこにずっと関心があります。
見た目を整えることだけでもなく、情報を整理することだけでもなく、どうすれば人の心が少し動くのか。
その小さな変化を、どうすれば設計できるのか。
それを考えることが、いまの仕事につながっている気がします。

伝わらない原因は、情報不足ではないかもしれない

もし、ちゃんと伝えているはずなのに反応が薄い。
情報はあるのに印象に残らない。
そんな違和感があるのなら、見直すべきは情報量ではないのかもしれません。

足すべきなのは、説明ではなく、感情の入口。
そして、そのあとに続く納得のための論理。
たぶん、その順番が整ったときに、はじめて伝わるものがあるのだと思います。

エモロジメソッドについて

このコラムの背景にある考え方は、エモロジメソッドとして整理しています。
感情が動き、そのあとに論理で納得するという順番を、Web制作や発信の設計にどう活かしているのかは、紹介ページでご覧いただけます。

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投稿者プロフィール

橋本敬(はしもとたかし)
橋本敬(はしもとたかし)
プロデューサー・クリエイティブディレクター。早稲田大学政治経済学部卒業。リクルートグループ、オン・ザ・エッヂ、ミツエーリンクス、博報堂アイ・スタジオを経て独立、株式会社ブリッジを設立。企業とユーザーの文脈設計を得意としている。公益財団法人画像情報教育振興協会委員